見逃してしまう 歓びの種を暖かい大地で 育てましょう
Mango & Knife🥭🔪(ひゃくにじゅうよんかいめ)
「Mango and Knife」は、東京をベースに活動するクリエイティブ・コレクティブ『Slogan』の3人による交換日記です。東京とインドネシア(ときどき京都)から、日々の記録や感じたことを少しずつお送りしています。
6.6 - yoshiko
月一となって久しいマンゴナイ、ご無沙汰しております。この1ヶ月結構怒涛だったな〜まだ最中。さなかともなかって同じ漢字なんだ〜間に挟まれるぅって感じ🥪?
最愛のおじいちゃんが死んだ。おばあちゃんの時と違って入院してからちょっとは覚悟してたけど、おじいちゃんは私にとって家族の中でもとりわけ無条件の愛と安心を与えてくれた人だから、もう会えなくて寂しい。私の寂しいと言う言葉はおじいちゃんのためにある。
でも反対にすごいことも起きて自分の中ではビッグバン!みたいなことでもあった。お葬式に今回兄と2人で車で宇都宮に向かうことになった。兄と2人きりでそんな長いこと過ごすなんて多分中学生ぶり?とかで私は結構緊張してたんだけど、そこでたくさんいろんな話をした。お互いの仕事、大事にしていること、今の政治について、私の留学時代の話、兄の子育て論などなど。そして1番は私がずっとずっと家族と話すことができなかった、うちの両親に対する大きな蟠りについて。それは私のとあるトラウマから来ることで、人生で誰にも話したことはなかったし何十年経とうと私はずっと傷ついているし怒っているし同時に罪悪感も抱えていることだった。
なんか話の流れで今なら話せる気がする、話したいかもって思って兄に伝えたら「それはヤバい!」と今まで私が思ってた色んな感情を、そう思うのは普通だよ、とちゃんと肯定してくれた。話せるともまず思っていなかったから、そこからの肯定と連帯を示してくれたことでなんかずっと背負ってたものを一回ぽいっとできたような気がした。これは私の中では結構大きくて、人とこうやって信頼関係が築けるなら家庭を持つのも悪くないなと思った。
さらに良かったのが、思ったより早く着きそうで、寄り道する?となって、お葬式前に、おじいちゃんちから絶妙に遠くて人生で連れて行ってもらったことのなかった日光東照宮に2人で観光に行ってみた。葬式の日に観光なんて怒られそうだからとりあえず黙っておこう、なんて言いながら親族より先に家康の墓参り。その親族はまだ墓にも入っておらずカチカチ🍨
1泊して帰りは、運転中眠いとのことで平成懐メロイントロクイズを爆音でかけながら、最後は2人でコナンメドレーを大合唱。それから一緒に甥っ子2人を保育園に迎えに行き、兄の作る子供向けの味の薄いやわやわうどんを食べて帰宅した。おじいちゃんいなくて寂しいけど、そのかわり分かり合えないと思ってた家族の1人と非常に打ち解けてお互いに意外とちゃんと思い合ってたことを知るジャーニーであった。あ、でもおじいちゃんの骨を少し盗んだので、調味料の空瓶の中で実はおじいちゃんは私と共にいるのである🫙人生〜〜って感じの数日の出来事でした。
📮 おへんじ by sonoka
手塚ちゃんのおじいちゃんにもお兄ちゃんにもまだ会ったことがないのに、不思議と光景が浮かんで心がじんわり☀️さみしいね。日記っていいな。あると思い込んでたことが本当はなかったこと、あるとも思ってなかったことがずっとあったこと、そうゆうことに気がつくのって本当にふとした瞬間で、その瞬間から世界が違うものに感じるというか、コンタクトつけた朝みたいな感じで、そうゆう瞬間って人生だよな🧂おじいちゃんおにいちゃんありがとう〜
6.18 - sonoka
昨日まで飛騨古川に行ってきました🌳🌳🌳 FabCafe HidaがFabCafe Hidaになる前の、古民家だった家の床を磨いたぶりだから、10年ぶりだ〜!と思っていたんだけど、実はその間に私は1回行っているという説も浮上。(なんか随所に見覚えあるなと思った)変わらずにその場所があって、そこ行けば会える人がいるってうれしいね。
最近は日記を箇条書きで書いてるんだけど、読み返すと本当に記憶がなくて(それは前から)、でも書いてるのは自分だから「えっめっちゃわかるんですけど!」ってことばっかりでソウルメイトと日記交換してるような気分になる。最近は
関係性の継続について考える。継続はお互いの意思である。
にとちゃんは「かもしれないっすね」という便利な技を持っている
上りは前傾姿勢で歩くと坂道であるということに気が付かない、ような気がする
膝にジェントルな下り方を研究したい
みたいなことたちが書かれている。そうなの、4時間運転した次の日に3時間ろくろを回して(実際のろくろな)、数日後に20km歩いたから膝が痛いんです。
今日は、家を出た時から雨が降ってたけど傘を忘れた。忘れたというか、家を出る前にちゃんと窓から、雨降ってるかなチェックをしたのに、雨が見えなかった。でもなんとなく雨が降りそうだなとは思って防水の上着を羽織っていったからセーフ。打ち合わせ場所について、まあまあ濡れた上着の水を飛ばしてたら、チームの人が来て、「傘忘れちゃって〜」って言ったら「昨日から降ってますよ」って教えてくれた。
今日の箇条書きには、そうゆうことを書くんだと思う🍬
📮 おへんじ by yoshiko
人生の点の箇条書きがいくつも重なって縦の糸はあなた横の糸は私となって織りかさなっていくんでしょうか。日記っていいね。何を成し遂げるのか、目標とか何年後にはこうなりたいとか大きなことに目を向けちゃいたくなるけど、今日という点は確実に存在していてふとその点を見返すと膝が痛いとか、なんかくすっとしちゃってもうそれだけで十分な気もするよね🏺
🍒 Deby’s Triplets cherry
For the past couple of months, I’ve been playing around with PXLCAM. Created by artist and designer Anna Zhang, the app intentionally produces low-resolution photographs. At first, I thought I would only use it occasionally as a visual gimmick. Instead, it quietly became part of my daily walks.
What drew me to it is that it reminds me of risograph printing.
A risograph can never reproduce every detail of a photograph. It translates the image through layers of ink, texture, imperfections, and happy accidents. Something is lost in the process, but something else is gained: character.
Lately, I’ve been thinking a lot about that. For years, I’ve chased image quality. Better cameras, sharper lenses, cleaner files. Photography often feels like a pursuit of more detail, more information, more precision.
But with PXLCAM, I find myself looking at things differently.
A shadow crossing the street. The shape of a tree outside a station. The color of the evening sky. Somehow these moments survive the reduction into pixels. Sometimes they even feel stronger because of it.
Every photograph is stamped with a live Climate Clock, a reminder that images don’t exist separately from the world they are made in. I appreciate that the app doesn’t preach. It simply asks us to be a little more conscious. The longer I use PXLCAM, the more I find myself wondering…
How much detail do I actually need to remember a place, a person, or a feeling?
📮 おへんじ by yoshiko
I feel like it is more about the sense of attachment rather than the amount of the detail, and I don’t want to forget that the attachment can be anything not just composed in pixels but the smell, sound, feeling of course. I recently read an article about that for our generation the act of capturing an image is already a part of the experience of how we show the excitement at that moment. It’s like we laugh when it’s funny and cry when it’s sad. How extreme! If having camera on your glasses became standard, what comes next?? Do we even take photos? or Do we even look back the memories …??
It is interesting that after AI takes over the AIO and having text on your website becomes more important-which is like going back to the beginning of internet. What happens to the images/graphics next or even to our feelings when we see the beautiful images 🧐?
🦹懐死王 デュエル・マスターズ🏰 第 話
新コーナー!お互いに「懐かしすぎて死ぬ〜!」という画像や言葉を持ち寄って週替わりにデュエル。
👩🍳(Almost) Weekly Mango Juice 🍹
今週私たちが気になったモノやコトをご紹介
Euphoria見てる?最終シーズンが終わっちゃったんだけど本当に素晴らしかったから見て欲しいし話したい (yoshiko)
zootopia 2まだみれていないんだけど、この解説みてとてもみたくなった。こういうの作ってくれる人すごーい(yoshiko)
陰翳礼讃を読んでいる🌚🌝『「闇」を条件に入れなければ漆器の美しさは考えられないと云っていゝ』と、谷崎潤一郎が言っています。そうだわ (sonoka)
👩💻Organic Fruit Search 🥝
今週私たちがgoogleで検索したワードを公開。文脈は想像してみてね




